レトリカ新刊『RhetoricaJournal vol.2 特集:Fantasy is Reality』を第24回文学フリマ東京で頒布します(カ-36Merca様ブース委託)


新刊『RhetoricaJournal vol.2 特集:Fantasy is Reality』が(ギリギリ)できました。
本日の文フリで、Rhetorica#03とともに、Project Merca(アニメルカ)様のブースにて頒布します。

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今回の本で扱った主題は「リアル」。アメリカのヒップホップ黎明期を捉えた海外ドラマ『The Get Down』を扱ったテンションの高い座談会を中心に、MaltineRecordsのイベントでtofubeatsが見せたプレイからリアルなものとそうでないものとの境界を探ったtexiyamaのエッセイ、そしてこれらの文章に対する対抗的な(?)印象すらある「リアル」の憂鬱を捉えた薄井悠のエッセイ。以上3つのコンテンツを収録しています。

ぼく自身は、今回座談会で喋ったりtexiyamaエッセイの編集をやったりしています。前回の新刊から半年経ち、あの本をつくったときに議論していたことがまた別のかたちで消化された作品になったんじゃないかと個人的には思っています。
ご興味ある方はぜひともブースで手にとって見てみてください。

【頒布】
【目次】
  • 遠山啓一 + 瀬下翔太 + あずまみこ + ジョージ -「西東京ラジオ特別編 特集:The Get Down」
  • 遠山啓一 a.k.a texiyama - 「大都会と砂丘──tofubeatsのリアル」
  • 薄井悠 -「Stay real, or go to the JUSCO」
【特集に寄せて】

「リアル」という言葉に特有の困難とは、リアルではないものの周りにこそ、この言葉が漂いがちだということに尽きる。新作をリリースしたアーティストの心情はすぐさまインタビュアーによって編集され、リスナーはそれが「リアル」なのだとなんとなく思ったりする──自分の生活と一切接点がなかったとしても。
今回の特集名“Fantasy is Reality”には、「リアルはあくまでも幻想にすぎない」という戒めと、しかし妄想こそがリアリティの源泉であったはずだという信仰めいた思いを込めている。
座談会では『The Get Down』というドラマ作品を取り上げた。「リアル」の実践が──「リアル」のイメージからはかけ離れて見える──ある種の誇大妄想に依っているということがよく伝わる作品である。薄井悠のエッセイでは「リアル」という言葉に漂う憂鬱が語られる。texiyamaのエッセイは「何がリアル 何がリアルじゃ無いか」と歌ったtofubeatsのアクトについて語っている、リアルとアンリアルの越境についての断章である。
人は他者の姿を参照することでしか自分の生き方を形作ることはできない。これらのテキスト群が追い求めているのは、そうした模倣と信念形成の過程において私たちが何を取り違えてしまうのか/取り違えることで何が生まれるのか、という問いへの回答である。
「虹の紫色がどこで終わり、オレンジ色がどこから始まるかの境の線を、誰が引くことができるだろう? 私たちはその色の違いをはっきりと認識している。だが、最初の混淆から次の混淆への正確な入り口はいったい何処にあるのだろうか? 正気と狂気の境だって同じことだ。」(Herman Melville, Billy Budd/拙訳)

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