有名な人が有名になる前に仲間とわいわいしてた話 椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』


小学生の頃に好きだった、椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』を読み返してみた。

哀愁の町に霧が降るのだ〈上巻〉 (新潮文庫)

哀愁の町に霧が降るのだ〈上巻〉 (新潮文庫)

なんでもないような人物との出会いにネ申感がある。「なかなかいい感じのする男であった」って表現が頻発して、他に言い方ないのかって思うけれどもいいのだ。
バイト先にいた年上の大人、普段は静かだが酒飲んで話すとなんか深いような感じのことを言う。そのくらいのよさがすごく魅力的に書かれていて大変に尊い。重要な人物のことには意外と紙幅を割いていないという印象。

http://blog.p-amateras.com/?p=837
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トキワ荘の青春』とか、『哀愁の町に霧が降るのだ』とか、『銀座界隈ドキドキの日々』のような、後々それぞれが活躍する人々が世に出るまでの青春の日々を描いた話が好きです。最近だったら、ドラマにもなった『アオイホノオ』もそうですね。

ナタリー本がほしいなと思って、いろいろググってたら上の文章を見た。それで椎名誠を絶対に直ちに読み返さねばならないと思って、新潮文庫版を近所のブックオフで買った。ぼくだったらケルアック『路上』やメナンド『メタフィジカル・クラブ』もこの仲間に入れたくなる。

オン・ザ・ロード (河出文庫)

オン・ザ・ロード (河出文庫)

メタフィジカル・クラブ――米国100年の精神史

メタフィジカル・クラブ――米国100年の精神史

『路上』はビート・ジェネレーションの、『メタフィジカル・クラブ』はプラグマティストたちの、それぞれ青春群像として読める。アメリカの有名人たちについての群像劇が面白いのは、なぜだかそのままアメリカという国自体の青春を切り取っているように感じられるところ。少数の人間の――それもえらいやつからそのへんの飲んだくれの兄ちゃんまでいろいろの、が集まってわいわいやっているだけで、そこに国が立ち上がってくるような。アメリカに行ったときも思ったけど、油断してるとすぐ立ち上がってしまう国だってだけかもしれない。

読み返した『哀愁の町に霧が降るのだ』は、話が飛び飛びだったのも印象的。こういう構成になってたっけ、すっかり忘れていた。群像劇らしい「一方その頃〜」的な動きもあれば、一種のメタフィクション的なつくりもある。
そういえば、久々に見た沢野ひとしの絵は記憶にあったものよりもさらにヘタだった。