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時間経過のゲーム

雑記 ヒマの過ごし方 遊び 仕事

ある種の能力を身につけたり共同体に参加したりするために、ただひたすら時間を経過させなければならない段階(少なくとも当人にそう感じられる段階)があることを自分は知っている。
それにもかかわらず、そうした大切な時間をきちんと経過させることができる場合と途中で挫折してしまう場合とがある。

高校をやたらにズル休みしてひたすらラジオ聴きながらパワプロをやっていたときの自分は、出席日数1とかクラスメイトと過ごした日数1とか、そういうものを手に入れるためにあの学校で半日ほどの時間を経過させることに耐えられなかった。
具体的になにが嫌だったのかは今でもわからない。あの学校のあの教室に行き、半日たったら帰る。ただそれだけの流れが、すごく困難だった。学校にただいる時間をもう少し増やしていれば、もっと多くのイベントが発生していたと思うけど、でもできなかった。

つまらないなかに楽しみを見つけることが大切だ、というのは正しい見解だと思う。最低限の作業をこなしつつ、あとはひたすらに時間を潰せばいい。周りを見渡して興味を引かれるものを探したらいい。間違っていないと思う。
それから、似た意見だが、一見つまらないものも実はつまらなくないかもしれないみたいな考えも正しいと思う。
でも、そういった考えを採用しようとしても、実際にどうやれば新しい楽しみを見つけたりつまらないもののなかに隠された興味深い点を発見したりできるのかやっぱりよくわからないように感じられてしまう。こうなると、単にできるときはできるし、できないときはできない、というだけの話に思える。

小学生ぐらいまで戻ると、自分は唾を飲み込む間隔を脳内で測って微妙に楽しい気がするみたいなイイ技をたくさん持っていた。だから教室でのつまらない時間を経過させるのが圧倒的にうまかった。
高校のときはそれができなかった。では、今の自分にはできるのか。救急車で運ばれて沖縄旅行に行けなくなった春休みの布団の中で、そういうことを考えていた。