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デューイの遊び論をチラ見る デューイ『民主主義と教育(下)』第十五章 教育課程における遊びと仕事

雑記 遊び

先週頃からORF関連の作業で睡眠時間が著しく削られている。
慣れないインデザいじりはそこそこ面白いのだけれど、さすがに朝方に集中力が切れたので、ちょっとだけデューイを読んだ。

民主主義と教育〈下〉 (岩波文庫)

民主主義と教育〈下〉 (岩波文庫)

デューイは遊びの本質を無目的性に求める議論に対して疑問を呈していてなかなかおもしろかった。

遊びの概念の定義的特徴は、娯楽性でもなければ、無目的性でもない。それは、産出される結果との関連において行動の連続性を限定することなしに、同一の路線上のより多くの活動として、目標が考えられている、ということである。

あんま感想を書く時間はないので、以下にもいくつかメモ的に引用を置いておく。

一定の性質をもつ、かなり遠い未来の結果が予見されており、それらを成し遂げるために粘り強い努力がなされるとき、遊びは仕事へと転化する。

レクリエーションとは、その語が示す通り、精力の回復である。人間性のもつ要求で、これほど強迫的で、避けがたいものはない。その要求を抑制することができる、という考えは断然間違っている。

教育にとって、レクリエーションになる余暇を楽しむために適切な配慮をすることより重大な責任はない。それは、当面の健康のためだけでなく、もし可能なら、精神の習慣に及ぼす永続的効果のためにも一そう必要である。

遊びの態度がたっぷり含まれたままでいる仕事は――ありきたりの意味でではないにしても、質において――芸術なのである。

以上。