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「血の通ったライフハック」をつくれないか

雑記

二週間くらい心身共に非常に調子が悪くて引きこもっていた。
その間、扁桃腺が化膿したり色々大変だった。

ここ数日でようやく元気になったので、色々作業も残しているんだけれども、少し自分の卒論のことを考えた。
卒論の計画書を出す時期がきているからだ。


自分がなんとなくやりたいと思っているのは、「血の通ったライフハックをつくることは可能か、ということだ。この話について、ざっくり書きたい。

ライフハックというのは、ツイッターとかブログで自分も書いているが、就活こうやって切り抜けろとかマインドマップこう書けとかそういうようなやつだ。
しかしぼくは直感的に、こういうライフハック「死んだライフハックであることが多く、そうじゃないものがつくれないかと結構前から思っている。

ここで死んでるとか血が通ってるとか言っているのは、そのライフハックが単純な意味で「使える」とか「使えない」とかいうようなことではない。
血が通っているというのは、そのライフハックが単なるひとつのハックを超えて、使う人にとって独自の位置を占めるやり方にまで育っていく可能性を持っているということなのだ。

「独自の位置を占めるやり方」なるものがどういうものなのか、まだきちんと語る言葉を持っていない。イメージだけしかない。
ライフハックみたいなものって、それを利用する人がそのハックを「ものにする」必要があるんじゃないかと思う。そして、「ものにする」ことに意識的な形式というのがありうるのではないかと思っている。
「ものにする」ということはある種とっても個人的なことなんだけれども、それを多くの人にとって可能にするようなかたちでライフハックを記述できないか、と考えている。


この記事で、パターン・ランゲージの論文を出したことを報告したけれども、このパタランなるものが自分にとってはそういうハックを記述するための優れたメディアなんじゃないかなーと思っている。
卒論ではこういう話をもっと多くの人に伝わる言葉で、説得的に書きたい。

ただ、直接それをするのは難しいかもしれない。実際に書いたパターンのケースとそれへの注釈を書くようなスタイルで、非常に間接的に書くようなかたちになりそう。

おそらく、そもそも「実践知」とかそれについて語ることってなんなんですかってことについてちゃんと考えることができれば、自分が考えているハックのあり方とその実装・利用についてもっとうまく言えるようになると思うのだけれども、難しい。