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人を気にすることについて

雑記 コミュニケーション

「人からどう思われているか」とか「人から評価されたい」とかいうことを気にするのは、あまりかっこいいことだとは思えない。

とりわけ、これらのことを中途半端に気にするのはまずい。
人からどう思われているかを中途半端に気にするというのは、とにかくださいし、結局人からの評価を改善するに至らないことが多いように思われるからだ。

ぼくは人の評価というのは最初にある程度サッと決まったそのあとは、わりとゆっくり長い時間をかけないと変わってゆかないものだと思う。能力にしても好悪にしてもだいたいこれは同じだろう。

もしこれが正しいとすれば、既に自分を知っている人から今までよりもよく思われるためには、少なくとも時間をかける必要がある。
しかし、中途半端に人からよく思われたいと思っていると、その時間をかける労をないがしろにしてしまうと思う。
時間をかけないでなんとかしようと思うと、単に相手に媚びたり少々ずるいことを考え始めたり、どうしようもなくてくすぶってしまったり、ろくなことがない。事態も改善しない。


一方で、「人からよく思われたい」ということを真剣に、きちんと気にするのであれば、やはりこれもかっこよくはないものの、悪くない感じがする。

人からよく思われることを真剣に願って実行していくとなると、かなり多くの「正しい」努力が必要に思われる。それから、その人が思っている「人」というのがそれなりにまともな人々を指しているのであれば、その正しい努力は、多くの人にとってもよい結果に結びつくとも考えられる。
こうなってくると、評価されたいという気持ちや、よく思われたいという気持ちは、自分が評価されるに足る、あるいは実際によくなっていくということになるわけなので、悪くはない。
(ただ、こうした努力で疲れてしまってつらい気持ちになるのは非常によくない。その場合は、そもそも評価されたいとかそういう話を捨て去る方向を模索すべきだろう)


ところで、人からよく思われるための努力が難しいのは、極端に言って、「単に何もしない」といった消極的な作業が含まれるところにある。

こんなことは別の多くのことがらにおいてもそうだろうが、人からよく思われるという問題においてはことさら、「今いくら頑張っても仕方がないので、しばらくこのことを忘れるようにしよう」みたいな種類の「努力」が必要になる。

これを実行するのは、気持ちが強ければ強いほど厄介なことだなと思う。
自分が強く願っていることを実現するための手段が今はなくて、その願いをいったん封印しなければならないというのは、なかなかしんどいことだろう。


誰かを好きになったり認められたいと思うようになった。最大限できることをした。気も使っている、長所は伸ばした、短所もなるたけ直した(気がしている)。それでも結果が出てこない。

そんなとき、ただただ時間をおいてやり、相手のテンポが自分の方に(たまたま)合ってきて、相手が自分のことを前より評価したり、好きになったりするタイミングが訪れるのを待つ。

もちろんそれで結果が保証されているわけではない。いつまで待つのがいいのもかわからない。
しかし、「ひとまず」待つ。これは、人から評価を受けたり好きだと言ってもらうために最初にできるようにならないといけないことだと思う。