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メモの取り方(1):本をメモ帳代わりに!?

雑記 知的生産

先日以下のブログ記事を書いた。

この記事で書いたのは、次のようなことだった。

  1. ブログを書くのは大変だ。
  2. 大変さの原因は、ツイッターと比べて打ち込むフォームが大きくて気楽に書けない・障壁感があるということなのではないか。
  3. 大変さを克服してブログを書くには事前にメモを用意しておけばよい。
  4. 用意したテーマに即してメモを並び替えればブログ記事ができる

ブログを続けるための「メモ」???

しかし、この考えは先のブログ記事だけではほとんど意味がないものになってしまっているように感じられる。

なぜなら、ブログを書くことの大変さを、メモを取ることのめんどくささに置き換えただけに見えるからだ。

つまり、この考え方で実際にブログを書き続けてゆくためには、あとで使えるメモサクサクと取ることができるような自分なりの習慣作りとセットで議論する必要があるのだ。

とはいえ、メモの取り方については、ぼく自身の中に習慣が固まっていない。
そこで、今回からはメモについていくつか自分の周りにいる人のユニークな例を見つけてきて、自分流のメモの取り方を探ってゆきたい。

メモの取り方:本をメモ帳代わりにする先輩

まず、最近知って非常にユニークだと思ったメモの取り方として、「本をメモ帳代わりにする」というやり方がある。

これはぼくの先輩がやっているもので、その人はそもそもメモ帳を持ち歩いていない。

その代わりに本をいつも持ち歩いていて、本を読んで考えたことや関連して気づいたことなど、とにかくふつうメモ帳に書くようなことまで本の中に書き込みを入れまくるのである。


線を引いたり多少のコメントを本に書き込みする人は少なくないと思うが、その先輩の場合わりと常軌を逸していて、とにかく書き込みの分量が多いのだ。
(彼の本を写メっておけばよかった)

本がメインで自分の書き込みがある、というのではなく、本を自分のものにしてしまおうという感じである。

言い換えると、自分の記憶や考え、経験を「本」という単位で保存しようとしているイメージだ。


白紙にメモを取っていく作業が、曖昧跋扈としたその時々の考えや経験にいちからラベルを貼っていくような作業だとすれば、本に対してそれを行うのは、ラベルを貼る作業を誰かに手伝ってもらっているような感じがあるのではないか。

実際、ぼくはそれほどたくさんの書き込みを本に行うわけではないけれども、自分が本にした書き込みをあとで読むとそのとき考えていたことが本の文脈に助けられてずるずると出てくることはある。


それを徹底的にやっている先輩は、話していて本を中心に自分の考えがはっきりと組織化されている印象がある。

その人は、「なにか書きたいなと思ったら、その「何か」から派生して思い浮かぶ本をずらりとパソコンの隣に並べて、さっと目を通せばすらすら文章を書きはじめることができる」と言っていた。


読書という行為は人によってかなり意味が違うので、誰もが真似できる方法ではないが(ぼくもやってないしやりたくないw)、メモ取りについてのヒントはかなり入っている話だなあと思う。

ぼく自身は本を読んでメモを取る場合、基本的にはiPadに書いている。
本には線を引くだけだ。

次は読書をする際の自分のメモの取り方について書いてみたいと思う。