"研究"計画書を書く


ぼくのキャンパスでは学部生が"研究"を行うことを奨励している。具体的には、学部生の研究のための基金がいくつかあり、研究計画書を書いて認められた人が十万〜数十万程度のお金がもらえるのである。
このお金はフィールドワークなど研究にかかる費用に使うことができる。基金によっては、文献調査として必要な本を買うこともできる。
ちょうど今、この基金の多くが申請締め切りの時期になっている。

先日ここに書いた通り、ひとまず昨年から自分が頑張ってきた討論型世論調査プロジェクトを5月末で終えた。だから、次にやることを決める意味でも、この基金とやらに申請してみようということでモノは試しと研究計画書なるものを書いてみている。
具体的には、カードゲーム型の世界地図学習教材の開発・販売を行っているAlea Factoryという団体に参加しているので、この教材に関することでいってみようと思って、ゲーム型教材の教育効果研究みたいなテーマで書いている。

ぼくは中学生の頃くらいから学習法や教材を工夫することには興味があった。受験向けの勉強をすることは嫌いだったが、目標の点数のためにできるだけ効率がイイやり方を考えてはちょっと試して飽きたりなどよくしていた。
今のぼくにとって教育効果や教材に関する思い入れはせいぜいその程度だ。特にそのレベル以上で掘り下げたり、体系だって学んだりしたことはない。

こんな状態で研究計画書を書いているから、すごく大変である。自分が書いていることがぜんぜんトンチンカンな話に思えてくる。
こんなことはもう誰かやってるのではないか、これでは研究と呼べないのではないか、実証主義的な研究なんてぼくにはできない一方で解釈系も難しい、こんなことしてなんになるのか、そもそもぼくみたいな頭足りてない学部生にこれは無理なのではないか、学会誌の読み方とか知らない、研究の作法みたいなものも知らない、、、みたいな。

もちろん、日がないからに突貫で書いている計画書とはいえ、先行研究をできる限り読み、方法論に関する教科書的な本をざっと読んだりはしている。
足りない知識と頭で、どうにか自分の"研究"を先行研究の中に位置付けながら、少しばかりの新規性を見出しつつ、何らかのかたちで教育者に実際的な示唆を与えうるようなものを組み上げようとはしている。

それでもやはり、自分が根本的に無知なことについてわかったふうに書くことは恥ずかしいような感じがある。
だが卑屈になってもどうしようもないと思うので、最後はエイッてやるしかない、ぼくはここまでは確かにわかるはずなんだってことにしていくしかない、落ちるときは落ちるし精一杯やるのみだ、、、とか超ぼんやりしたことを思っている。

ただ、この反省のプロセスを含めて、作業自体はぼくにとって大変勉強になるものだ。とりわけ、計画書を書くために読んだ本で新しく知ったことと、既に知っていたこととがギュッと結びつく感覚はすごく気持ちのイイものだった。

本来は、今みたいになっちゃうようなテーマを選択すべきではないのだろうけど。ぼくはこれに決めてしまったし気合いはあるつもりなので、今回の計画書がダメだったとしても、これからぼくにとってよいテーマにしたいと思っている。

*タイトルは逃げ。でも、ほんとに数日とかしか考える期間がないのですよ!w

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