J.S.ミルとファーブル


ぼくはJ.S.ミルにすごく関心がある、というかファンなのですが、彼はファーブルと仲良しだったのですね。ミルはコールリッジだの好きだし、自然とか好きだったんですねー。

的はずれ人物伝1
ファーブルが独立自尊を絵に描いたような人だったのに対して、ミルは身近により所となる人がいなくては生きていけなかったようなところのある人物です。

ジャン・アンリ・ファーブル - Wikipedia
1863年、アヴィニョンのサンマルシャル礼拝堂で市民を対象に「植物はおしべとめしべで受粉をする」という原理を説明するも、参加者のほとんどが女性であったことから大きな非難を浴びた。その後政界や教育界からの圧力により、彼は教壇を降りることとなる。この事件には独学で名を成したファーブルへの妬みや、文部大臣デュリュイへの宗教界からの意趣返しの側面[1]もあったとされる。教員を辞めさせられると、彼の講義を受けていた生徒たちは置時計を記念に贈呈した(彼の生家に現在も置かれている[要出典])。その後、家主にも追い立てられたファーブルは、住み慣れたアヴィニオンを出てセリニアンに移り住む(セリニアンに移り住む前にアヴィニオンに近いオランジュの町に一時移住していた)。たまたまアヴィニオンに滞在していたイギリスの思想家ジョン・スチュアート・ミルに、ファーブルの生涯でただ一度の借金を申し込んだのもこの頃である。ファーブルは大きな試練に立たされるが、『昆虫記』の執筆に注力するのはこの後のことである。