シンポジウム 日本の「世間」とメディアを考える


久々の更新です。参加している大学院プロジェクトにて、以下のようなシンポジウムを開催しますので、その告知です(ちなみに僕も、もしかしたら少し学生発表ということで何か話すかもしれません)。

<シンポジウム>
日本の「世間」とメディアを考える
― 思考停止を突破するために―

■主催
現代社会文化論プロジェクト(慶應義塾大学政策・メディア研究科)
*といっても、この大学院プロジェクトは今春立ち上げたばかりで、
実際には堀研の学部生のうちの有志が主な構成員です。

■概要
日本のマスメディアの特徴が如実に現れたと思われる昨今の事件報道の事案を取り上げ、メディアの取材・報道姿勢の背後に横たわる構造的問題、受容する視聴者や日本社会の側のメディア・リテラシー等について、メディア関係者や専門家に討議していただき、現代日本に求められるジャーナリズムの姿を考える。その際、日本社会(とそのサブシステムであるメディア)を読み解くキーワードとして「世間」を置き、分析の手段としたい。

■日時・会場
2010 年07 月23 日(金)、17 時00 分〜20 時00 分
於:慶應義塾大学三田キャンパス、北館ホール
地図→ http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html

■パネリスト
森達也氏(映画監督、ノンフィクション作家)
http://moriweb.web.fc2.com/mori_t/index.html
篠田博之氏(月刊『創』編集長、ジャーナリスト)
http://www.tsukuru.co.jp/gekkan/
・田島泰彦氏(上智大学文学部新聞学科教授、情報メディア法)
・(司会)堀茂樹慶應義塾大学総合政策学部教授、フランス思想史)

■参加者
慶應義塾大学生・大学院生と一般市民(参加自由、無料)

■企画の背景、問題意識
近年の日本において、ホーリズム(有機的全体論)の社会から、個人を単位とするインディデュアリズムの社会への移行、いいかえれば地縁・血縁的共同体の集合から、よりドライな契約による利益共同体の集合への移行が進行してきていることは疑い得ないだろう。ところが、それにもかかわらず、一般に日本人は今日もなお、かつてドイツ中世史家の阿部謹也氏が西洋近代の「社会」に対比して語ったような「世間」を住み処とし、「世間」の圧力の下で、「世間」に多かれ少なかれ怯えながら生きているように見える。
「世間をお騒がせした」「世間にご迷惑をかけた」― 今回の賭博騒ぎをめぐって相撲協会が発したのは、またもやこの言葉だった。不祥事と目される事件が起こるたびに当事者が口にするこの常套句に含まれている「世間」とは、具体的に何なのか。
それは今や、必ずしも実体ではなく、記者会見場をしばしば独占し、そこからメッセージやイメージを加工して全国に発信する大手メディアが、自らの立場を担保するものとして半ば人工的に― しかしおそらくは無意識に― 作り上げる幻影なのではないかとさえ思われる。それほどに「世間」は曖昧模糊としていて、解析されたことがない。
しかし、たとえフィクションであっても、日本では「世間」の圧力はリアルで、まるで倫理的規範の代替物ででもあるかのように人間の自由の前に立ちはだかる。出る杭に対して「遠慮」を強い、「空気を読む」ように促し、「謝罪」を求め、「自粛」を推奨する。迎合的でない行動を抑止するだけではなく、思考停止の壁となる。「世間」を背負うメディア、あるいは今日的な「世間」そのものであるメディアは、特定の人物を集中豪雨のようにバッシングし、集団的自律としての民主主義を機能不全に陥らせることさえある。小沢一郎という政治家をめぐる昨年来の西松事件陸山会事件、そして検察審査会関連の報道はその典型的なケースだが、類似の事例は枚挙に暇がない。
日本社会とマスメディアのこのような現実を生み出しているのは、いったい何なのだろうか。また、こうした社会文化状況に対して、われわれはどのような認識を持ち、どのようなメディア・リテラシーを身につける必要があるのだろうか。

■具体的な進め方
17:00-18:00:堀(司会)と学生によるプレゼンテーション
<暫定的な内訳>

  • 『悪童日記』(A・クリストフ)のインパクトと日本の迎合主義 ― 記者クラブ問題等に触れながら ― 堀
  • ドキュメンタリー映画『A』『A2』から− SFC学部生
  • ザ・コーヴ』上映中止問題− SFC学部生
  • ウェブ・メディアの可能性と陥穽− SFC学部生

18:00-19:30:パネルディスカッション ― ゲスト講師3名
19:30-20:00:会場とのインタラクティブな討論